くらしの相談センターが命を救った
私が所長をしている「くらしの相談センター 多摩」では、センター発足以来、欠かさず月に一度ニュースを発行しています。1面にその月に受けた相談で皆さんにお知らせしたい事例を載せていますが、最新号の59号に、まるで共産党議員の相談センターの存在意義そのもののような事例が載っています。ちょっと長いですが、担当したスタッフの原稿をそのまま転載します。全国に共産党の組織があって、その連携で命を救った事例です。
3月1日(日)午後4時20分ごろ、東北のA市の共産党から電話がありました。川崎市多摩区登戸のYさんの件でその姪の方から相談があり、調べて「くらしの相談センター 多摩」にたどり着いたとのことでした。概要を聞き、後刻その姪の方とも電話で話ができました。
Yさん(78歳)はすでに夫と長男を亡くし、失業中の次男(40歳半ば)とアパート暮らし、二人とも生活に困っていること、栄養状態も非常に悪く、身の回りのことも満足にできないので当面の援助のため、A市から妹と姪が3日間だけホテルを確保し出かけてくることがわかりました。A市から出かけてくる二人は正味2日間しか猶予がなく、川崎市や多摩区登戸はまったく事情が分かりません。援助してほしいとのことでした。相談員は姪と電話で下打ち合わせをし、翌日A市の二人とYさん親子のアパートでおちあいました。
Yさんはふとんに横たわっており、次男は朝出かけ帰ってきてフラフラになって寝ていました。栄養失調状態だろうとのことでした。その日の食べるものはA市の二人が何とかしていましたが、部屋は暖房を使っていないため寒く、片づけられていませんでした。生活保護を受けようと話がまとまり、次男は寝ている状態でしたのでYさんとA市の二人、そして相談員の4人が多摩区役所の保護課に行き保護申請をしました。急を要するので保護申請は必要最小限で出かけましたが、その場で受理されました。その日の夕方、保護課の職員が自宅を訪問し、後日保護費の支給がありました。
これまでこの二人は、Yさんのわずかな年金からアパート代を払うとほとんど手元にお金が残らない生活を続けてきたのでした。相談員としては「とりあえずまずは栄養を取ることが大事」と話しました。しかし気持ちとしては、なぜもっと早くに助けを求めることができないのだろうと思います。「こういう状態になると声をあげられなくなるもの」とわかっているのですが、いつも複雑な心境です。
その後次男さんはアパートの住み替えに動いたようで、4月になりA市の二人もまた出てきて、アパートの世話と部屋の片づけを手伝って帰りました。