戦争を語り継ぐということーー小澤俊夫さんのお話を聞いて
地元の生田九条の会の皆さんが憲法カフェをやっています。今回の講師は小澤俊夫さんと聞いて、これは聞き逃せない!と出かけました。
小澤俊夫さんはグリム童話研究の第一人者。日本の民話研究でも全国で昔ばなし大学を開催して続けておられます。小沢征爾さんのお兄さんで、小沢健二さんのお父さんというご一族ではあるのですが、多摩区にお住いなので勝手に親近感を持っていました。でもお話を聞くのは初めて。まず1930年生まれの86歳と聞いて、びっくり。
小学校四年生まで満州、北京と過ごした。日本人の子どもたちが日本軍の兵士を慰問した。高揚した兵舎で人を殺すことを自慢げに話す兵隊たち。彼らは日本に帰れば父であり夫のはずで、とてもあんな話はしなかっただろう。銃後の国民は日本軍がどんなことをしたのか、知らされなかった。加害の責任も誰もとらない。平和憲法を守るというとき、自分たちが苦しい思いをしないというだけでは足りない。二度とよその国の人々を苦しめないという決意をしているかが問われている。
今の政治はほんとうに危惧している。10億出すから慰安婦の像を撤去しろとか、南京大虐殺はなかったとか、なぜ平気で言えるのか、世界から見ればほんとうにみっともない、恥ずかしい。目の前の衆議院選挙で3分の2にさせないことがどうしても必要だ。
語気がどんどん強くなり、力がこもります。でも、民話を研究して思うのは、日本人の優しさだと。自然を神としておそれ、自分に襲いかかる困難をはねのけるのでなくなんとかやり過ごすという国民性を強く感じると言います。これを利用すれば、北朝鮮のミサイルへの不安をあおり、軍備が必要だと喧伝すれば、国民は遠くの政治の話を自らのこととしないまま、やりたい放題できる。まさに今の安倍政治そのものです。
どうすればいいのか、という質問に小澤さんは「こつこつと知らせていくことだ」と言われました。小澤さん自身も「昔ばなし大学でも、少しでも今の問題に引きつけて話すようにしています」。小澤さんが主宰する雑誌には、小沢健二さんが連載を持ち、原発のことなど発信しています。
東京の空襲を立川からみつめ、学徒動員で担いだ110キロの火薬が特攻隊が抱いて飛び立った爆弾のためだったと知ったショック。戦中、父親にずっと付いていた特高が戦後「この戦争は負けると思っていた」と手紙をよこしたこと。戦後最初の選挙で共産党の演説の勢いがとてもよかったこと。次々と語られる、正義感の強い青年が感じた日本の歴史の転換点の様子に時間を忘れました。
さて、私には何ができるのか。こつこつと知らせる仕事をもっともっと、ですね。