生活保護問題議員研修会で学んだこと
この研修会は、生活保護問題対策全国会議と全国公的扶助研究会という団体が毎年開催しています。弁護士や研究者、現場のケースワーカーなど、その道のプロたちの話を聞くことができる本当に貴重な機会です。
今、日本の福祉、社会保障は本当に危機的な岐路に立っています。このまま黙っていたら、日本の人たちはこの国で生きていくことができるだろうか、という問題意識、というより危機感を持って、この場に集まってきているというのが、私たちの思いです。基調報告でもまとめの報告でも、まずこのことが語られました。いま、自民党政権は社会保障全体を、ごくわずかの人を救う救貧政策にせばめ、あとはなんにでも保険制度を導入して、いわゆる自助努力の世界にしてしまうことをたくらんででいます。これは憲法25条をまっこうからふみにじるものです。
生活保護に限っていうと、今月8月から保護費が引き下げられていますが、これは戦後最大規模で、しかも、保護基準そのものの引き下げのため、就学援助や市民税の減免基準にも連動する可能性のある問題です。さらに6月、法案が廃案になりましたが、生活保護法の改悪もたくらまれており、予断を許しません。これへの国民的反撃をしましょう!というのが、この研修会の結論でした。私も本当にそう思います。
ところで、全体会の報告や、私が参加した分科会で大きなテーマになったのは、生活保護の受給者や生保は受けていないが生活に困っている、いわゆる生活困窮者が自立するには何が必要か、という問題です。釧路市、滋賀県野洲市、名古屋市の実践が報告されましたが、どれも大変な努力をされていました。
人はお金があっても、それだけでは幸せになったとは感じられないのです。私も相談センターでたくさんの人と生保を受ける手続きにお付き合いしましたが、受けたあと、生活が不規則になったり、かつてのように生き生きした様子がなくなったりする人がいます。そういう人たちが再び生き生きと人生を送るようになるには、もっと違う支援が必要なのです。それが「人間として人間らしく生きる」ための支援です。
その支援はその人によって違います。朝起きて顔を洗って着替えて、同じ時刻に家を出るということから支援が必要な人のためのボランティア活動を用意するだとか、多重債務を解決するために、家計のアドバイスをするだとか、子どもの世代に貧困を連鎖させないために、高校進学を支援するということもやっておられます。その人が自分らしく生きる力を取り戻すために、ずっと寄り添ってできることは何でもやっている、という感じです。そして結果として、働ける人は自分が社会の役に立てる確信をもって、仕事につけるようになり、生活保護をやめることができる。こうした、相談をうけ、自己肯定感をもつための具体的な支援まで一貫して行う活動は、生活困窮者が自立するためにどうしても必要だというのが、実践している人たちの共通の思いでした。
私もそういう支援の在り方が本当に必要だと思います。くらしの相談センターでなにかできないか。お話を聞きながらずっと考えていました。名古屋の「草の根いきいきぷろじぇくと」という実践をみんなで見に行きたいと思いました。
さて、この実践をがんばっている人たちの中で、国が提案しようとしている「生活困窮者自立支援法案」の成立を望む声が強くなっています。これは前述の先進的な工夫された支援活動を法律で義務化しようという風に見えるものです。たしかに、いまの保護のやり方が、まず水際で申請用紙も渡さない。ようやく保護を受けてもお金を渡して終わり。あとは保護費削減のために働け働けと強要する、ということから見れば、自立するまでの中間的な支援が必要だということが認められたということもできます。しかしこれは生活保護法の改悪と一体なので、保護費削減が目的であり、寄り添うというよりは、就労指導を徹底するということになりはしないか、ということが危惧されており、いちがいにもろてを挙げて賛成できない、という人がたくさんいました。
代表幹事の尾藤廣喜弁護士はまとめの報告の中でこの法案の評価について、「生活困窮者の自立を心から願い、具体的に支援している自治体はほんの一部。生活保護費を削減したいという思惑から保護法を改悪することとセットで実行されたら、自治体はたいへんなことになる」と問題点を指摘し、法案の中身を国民にもっときちんと知らせるべきだと強調しました。
いずれにしても、生活困窮者が本当に生きていていよかったという状況を作るには、ひとまわりもふたまわりも広い、豊かな活動を継続的に行わなければなりません。それが私たちにできるだろうか。重い宿題を背負った感じです。