弾丸視察レポートその3‐‐介護と医療の連携「尾道方式」
お昼もろくに食べずにCSWのお話を聞いた後、3時半に阪急電鉄「豊中」から梅田に出て、必死で歩いて大阪駅に行き、新大阪駅へ。新幹線に乗って福山駅で乗り換えて尾道へ。着いたのは午後6時です。これで終わりではありません。今度は「尾道方式」を学びにまずは、現場へ。数年前まで市民病院の看護師さんで、現在介訪問看護事業所を開業している魚谷さんからお話を伺うのです。夫さんは共産党の市会議員さん。さて尾道方式とは…。
私の生活相談の中でとても多いのが、「病院での治療が終わったから自宅に帰されるが、自宅ではとても介護できない。次の病院にと言われるが高くて行くところがない」という問題です。最初にいた病院はもう全然関係がなく、放り出されるというのが実感です。しかしそれではその人の命も家族の生活も守れない。そこで尾道市立市民病院では「地域医療連携室」をつくり、退院前から退院後の患者さんのケアをそれこそ総合的に検討し、その人が希望する生活を組み立て、なおかつ家族の介護の負担を極力減らす工夫をみんなで相談するという「ケアカンファレンス」をおこなっているのです。たとえば在宅を希望される患者さんなら、入院中の患者さんの様子をよく知る市立病院側の医師、看護師、薬剤師。在宅でケアする側からは、かかりつけの医師、ケアマネージャー、福祉用具の事業者、ヘルパーなど考え付く限りのあらゆる関係者が家族や本人と一緒に、希望を聞き、専門的な助言をしながら、どういう医療を続け、どういう介護をするか細かくプランをつくり、相談します。
この制度の中心にずっとおられた魚谷さんは、「国が医療機関を整備せず、なんでも在宅へという方針に乗っているようで、いかがかと思ったが、超高齢化社会の中ではいずれにしても在宅で対応せざるを得ない事態になる。そのとき、病院はもう知りませんよ。介護の制度は不十分ですよ、ではすまされない。患者さんが最期まで希望される生き方をできるように社会的に支える仕組みが必要だと思った」と、この制度を作り上げてきた意義を話されました。実際に、末期がんで自宅に戻った患者さんが、感謝しながら最期を迎えられた様子を語る魚谷さんは、確信に満ちていました。
翌朝、市民病院に伺い、いま実際に地域医療連携室で働いている職員さんから説明を受けました。ここの地域医療連携室は実に様々な取り組みをしていて、総合病院を退院したあと、開業医さんに移行しても心配ないようにしている様子が分かりました。これってけっこうむずかしいのです。とくに開業医のお医者さんが、介護のケアマネージャーやヘルパーと相談したり、アドバイスするという関係を作るのがとても難しい。尾道ではどうしてそれができたのか聞くと、前の医師会長さんが強力に推進され、それを受け入れる医師会の土台があったからということでした。こちらもすごいカリスマがおられたのでした。
テレビで報道されたこともあり、いま市民病院には毎月10件を超える視察があるのだそうです。川崎でどう取り組むか。議員団でしっかり考えたいと思います。
その4、神戸市の「認知症初期相談支援チーム」は、ちょっとお待ちくださいませ。さすがにこんなに長いレポートはつかれた…。