子どもの居場所を考えるつどいは感動でした
日本共産党川崎市議団主催の「“子どもの居場所”を考えるつどい」に200人近い方が集まってくださり、感動の時間を過ごしました。
第1部は映画「さとにきたらいいやん」の上映。第2部は、その舞台となった大阪西成区「こどもの里」理事長の荘保共子さんと、川崎フリースペースたまりばの理事長西野博之さん、川崎区桜本の川崎ふれあい館の鈴木健さんのスペシャルトーク。貧困や家庭の問題で学校に行けず、家庭の中にもいることができない…居場所をなくしている子どもたちのためにまさに日夜奮闘されている日本の第一人者の方たちの、リアルな、そして熱意あふれるお話を聞くことができました。
西野さんと鈴木さんは川崎市内で、日中の子どもたちの居場所づくりの活動をされています。お二人とも「学校にも家庭にも居場所がなく、今夜寝るところを探している子どもは私たちのまわりにいる。必ずいる。でもそれを見ないふりをし、見逃している社会がここにある」と言われます。大阪西成区釜ヶ崎で24時間365日、いつでも困っている子どもたちを受け入れ続けている荘保さんのはなしは、それはそれは過酷でした。「家出してきたこどもが『泊めて』ときたら、『なぜ』と聞かずに必ず受け入れる。その子は決して不良ではない。そこにはそうしなければならない理由があるはず。本来帰るはずの家庭に帰れない、人には言えずに苦しんできたすさまじい現実があるはずだから」と言い切ります。
今回のテーマである「居場所」とは、その子の成長にとってつらく悲しい現実があったとき、それを解決しいやす、あたたかい場所のことです。川崎市で中学1年生の子が殺害された記憶もまだ新しいのに、大阪寝屋川市で、埼玉県で、そしてまた今月は多摩区の多摩川で少年たちが命を落としています。分かっている事件の内容を見れば、ほとんどがそういう居場所のなかった子どもたちばかり。どうして、そうなる前に助けて、といえなかったのか。いや、きっとサインがあったはずなのに見逃したのか。荘保さんは「こどもの里に来てくれれば、絶対に死なせなかった」。そしてこんなことを言われました。「行政の人たちにかえてもらいたい2つの観点がある。一つは『自立観』。子どもに自立を迫るとき、まわりに迷惑をかけないことを求めるが、そうすると子どもは自分のことを言えなくなってしまう。子どもはまわりの大人をいっぱい頼って、経験を積んで自立していく。そういう存在であることを前提に施策をたてるべき。もう一つは、『子供半人前論をやめる』こと。子どもはその存在自体がひとりの人格であり、生まれたときから一人前の人間であることを認めること。そしてちゃんと予算をつけること。これなしに行政としてまともな支援はできない」。
いっぽうで、「子どもは心の傷を遊びで癒す」ということも言われました。おもいっきり、どろんこになって、やりたいことを思う存分やれると、笑えなかった子どもが笑えるようになる。生きる気力をとりもどす。西野さんが委託され運営している川崎市の夢パークのようなプレイパークを参考に、西成区でも整備が進んでいるそうです。
こどもの貧困、それはつまり大人の貧困です。その解決なしに、学校も家庭も居場所がない子どもたちを減らすことはできません。荘保さんが次つぎと紹介するすさまじい現実を聞いていて、政治の責任は大きいとつよく思いました。