児童虐待をなくすには何が必要なのか
川崎市議会で、議員提案による、虐待から子どもを守る条例というのが可決されました。あちこちで話題になっていると思いますが、日本共産党は反対しました。本当に子どもたちを虐待から守るものなら全会一致でできるべきものです。そうならない、問題点を抱える条例ができてしまったことはとても残念です。
共産党がなぜ反対したのか、くわしいことは、議員団のホームページに詳細に載せましたので、ご覧ください。http://www.jcp-kawasaki.gr.jp/archives/6258
この条例案そのものは、いきなり最終日の本会議に自民、公明、民主、みんなの4党の共同提案として上程されて、共産党がわずかな質問と反対討論を行っただけで、多数で可決されました。この条例骨子案は9月27日に突然出され、28日(17時過ぎから約1時間半)10月1日と市民委員会で審議されました。10月1日には夜中の11時過ぎまで審議していたのです。その中で骨子案としても修正するべきところがある、不明なところや答弁が不十分なところもあるので資料要求も出されていました。ところが、突然深夜11時半に骨子案は取り下げになり、その審議とは無関係に、しかし内容はまったく同じ条例案が抜き打ちのように本会議に出てきたのです。
私たちはこの委員会をずっと傍聴してきました。虐待はたくさんの痛ましい事例がおきています。どの虐待も、まったくなんの兆候もなしに事件になることは少なく、深刻になる前に保健所や病院などが気づくことが多いといいます。児童相談所にはそういう相談や通告がたくさん来ます。それに一つ一つていねいに対応するだけの人がいないというのが最大の問題だということは、児童相談所自身も繰り返し表明していることです。一日も早く虐待をなくすには、とにかく一日も早く児童相談所や区役所の体制を強化し、手助けの必要な親や子どもに必要な手を差し伸べることです。この立場から、日本共産党は、予算要望書でも議会質問でも、繰り返し、人員増も含めた体制整備の強化を求めてきました。しかし、条例提案の理由を「手をこまねいてはいられない」と説明した自民党をはじめ、今回条例案を提案した4党は、そうした要求を取り上げてきませんでした。しかも、来年の予算に間にあわせるため、といいながら、市がおこなう具体的な義務内容は何ひとつ盛り込まれていないのです。
条例の内容も問題が非常に多いものです。骨子案の市民委員会審議でも指摘しましたが、市の責務は曖昧なのに、市民への責務を法律以上に強化し、通告対象者を「虐待をするおそれ」のある人などと極めて抽象的な概念まで広げた結果、自分の知らないところで「おそれの」ある人、と決められて、自分の知らないところでそうした情報が集められ、他都市に引っ越した後もその情報がついて回るという条項さえ規定されているのです。こんな法律にも反するような内容は問題ではないかと、委員会では大論議になりました。様々な修正意見も出て、こうした意見を取り入れて時間をかけ、市民討議も経たうえで審議を徹底的につくしていけば、全会一致で成立する可能性がないわけではなかったのです。
また、議員提案というなら、市民説明会を開くとか、市民意見を聴いて市民討議にかける機会を設けることは必要不可欠です。まして、子どもを虐待から守るために市民みんなで協力しようと求める内容であれば、尚更です。ところが、「自分たちは市民の代表だから、市民意見を聴く必要がない」「何が市民にとって利益かは自分たち議員が決める」(自民党議員の発言)として、骨子案を市民に示して市民意見を聴く姿勢はまったくみせませんでした。
私たちは、全国に先駆けて「子どもの権利条例」を制定している川崎市の議員としては、何よりもまず、子どもの意見を聴くことが必須であり、そして、市民から負託を受けた議員だからこそ、市民にその骨子案をキチンと示して、市民意見を聴くことが必要だと考え、そのことを委員会でも本会議でも主張しました。
ところが、何を焦ったのか、議会の最終日に間に合わせるために、委員会の審議を深夜になって突然打ち切って、自分たちだけで本会議に上程したのです。 これでは、児童虐待防止条例をつくることを実績としてつくることが目的だったのではないか、との疑念がぬぐえません。児童虐待防止は一刻を争う課題です。だからこそ、本当に実効的な対策が急がれているときに、それを真剣に考えるのではなく、よりによって、自分たちの実績づくりに利用するなどということはあってはなりません。
私たちは引き続き、十分な人員配置をさせて、ひとりでも早く虐待から救うために頑張らなければならないと、改めて決意しています。