国立競技場の壁画を残せ――国会に3回目の交渉で
旧国立競技場にあった壁画を残せ、と始めて文科省に申し入れをしたのは今年2月でした。壁画の作者のひとりである大沢昌助さんの孫である大沢昌史さんと国会に行き、はたの君枝衆議院議員と「芸術作品として、きちんと残してほしい」と訴えました。その後、一度は残すことになったものの、国立競技場の設計そのものが白紙になり、どうなるかととても心配していました。今日、はたの議員の部屋で担当者の話を聞きました。これで3回目です。結論から言うと、新国立競技場の敷地内に壁画を再配置や保存をすることを設計の条件にしていることが明らかになりました!
この問題はマスコミでも何度も報道され、署名運動になり、国会でもはたの議員をはじめ、衆参で取り上げられていました。今日のスポーツ庁政策課の担当者と、事業主体である日本スポーツ振興センター(JSC)の説明では、前の計画を白紙撤回したあと8月28日に関係閣僚会議で出した「整備計画」のなかで、壁画等について「最終的な保存場所をJSCは早急に検討し決定すること」として、国が保存を決定したこと。この整備計画を受けてJSCが、事業者選定のために作成した「業務要求水準書」に、「新国立競技場内および敷地内への再配置や保存を行う場所を検討し、必要に応じて床や壁の補強を行う」と明記している、とのことで、これにより、壁画の廃棄などはありえない、ほぼ確実に敷地内に残ることがわかりました。
同席した大沢昌史さんが「必ず展示されるのか」と聞くと、JSCは「展示場所の広さや技術、さらにコストの問題があるので、事業者の提案を見ないと確定的には言えない」としましたが、「できるだけの努力をする」と答えました。はたの議員は「大沢さんの懸念もあるので、事業者が決定したとき、基本設計ができたときなど、折にふれ経過を報告してほしい」と求め、スポーツ庁の担当者が「わかりました」と答えました。
たくさんの署名を国会に届け、その声に押されて国会議員が何人も取り上げなかったら、関係閣僚会議にも盛り込まれず、業務要求水準書にも書かれなかったでしょう。そもそも大沢さんが声を上げなかったら、もしかしたら今頃壁画は廃棄されていたかもしれません。それはスポーツ庁の担当者も「国会で答弁しましたから」と述べていたことからも明らかです。
これから新国立競技場そのものがどうなるのかという問題はありますが、50年前のあの息吹を伝える芸術作品を後世に伝える役に立てたことはうれしい限りです。実際にこの目で見るまで、気は抜けませんけど。